改修中だったプラナカン博物館がリニューアルオープンしました!プラナカンファンにとっては外せないスポットですよね。
孫中山南洋紀念館では華僑の特別展をやってるそうです!
すぐにでもシンガポールに行きたい!
今日の動画
動画の要約
現在展示中の華僑とプラナカン文化
このニュースは3部構成になっているようです。
1.孫中山南洋紀念館の展示①シンガポールとアメリカの華僑史
2.孫中山南洋紀念館の展示②謎のプラナカン組織「慶徳会」
3.プラナカン博物館のリニューアルオープン

19世紀、多くの中国人が海を渡りました。
彼らの主な目的地は東南アジアと北アメリカはでした。

異国で生きるために中国人移民は自発的に互助組織を設立しました。
これらの組織は当時の中国人コミュニティの重要な柱となっていました。

孫中山南洋紀念館(晩晴園)の特別展「五湖四海同心義『早期華社互助組織』」では、米カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館と協力してシンガポール・アメリカ両国の初期中国人互助組織の発展史を展示しています。
また神秘のベールに包まれたシンガポールで唯一のプラナカン互助組織「慶徳会」にも迫ります。

今年初めにリニューアルされた「プラナカン博物館」にも多くの新しい展示品が増設されており、プラナカンの多くの文化の根源と発展を再認識する機会が得られます。
シンガポールとアメリカの初期華僑組織の発展史

兼キュレーター
林佳淳氏
初期の中国人互助組織は、移民の生老病死の世話をしていました。
今回はカリフォルニア大学バークレー校の東アジア図書館に致公堂に関する文化財をお借りできたので、洪門致公堂とシンガポールの互助組織に関する文化財をたくさん展示します。
「洪门致公堂」は中国致公党の前身である在米華僑の秘密結社。
中国致公党:
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%87%B4%E5%85%AC%E5%85%9A-169741
中国民主諸党派の1つ。略称は致公党。前身は在米華僑の秘密結社洪門致公堂。1925年10月致公堂員の発起によってサンフランシスコで成立。抗日戦争時期は華僑に拠金を訴えた。

周欣平博士
これらの展示品は、私たちのコレクションの中で最も重要な資料の一部です。
孫文自身も洪門致公堂のメンバーでありリーダーでした。
洪門致公堂のファイルには、孫文自身の仕事を記録した多くの記録があります。特に孫文が北米でどのように民衆を動員して反清政府をすすめたかの記録です。
華僑組織「慶徳会」への入会方法は?

「慶徳会」への入会の要件は何ですか?

兼キュレーター
林佳淳氏
まず入会には紹介者が必要です。
新規入会者は「新丁(新参者)」と呼ばれ入会の儀式が行われます。
人目をさけるため入会の儀式は夜に行われました。
儀式の内容は天地人の調和を象徴しており、新規入会者は右腕の袖とズボンの裾をたくしあげ、お香を手に持ってたくさんある門を次々に通過し、それぞれの門に入るときに誓いの言葉を述べます。

兼キュレーター
林佳淳氏
先達の努力により互助組織はシンガポールの中国人コミュニティにとって非常に重要な基盤を築きました。
互助組織は多くの学校や病院などを建設し、現在に至るまで中国人コミュニティに多くのサービスを提供しています。
中国人は出身地やグループ異なっても、社会に奉仕し時代に歩調を合わせ一生懸命働いてきました。
「慶徳会」の特別展

特別展では、地元で唯一のプラナカン相互扶助組織「慶徳会」の謎に迫っています。
1970年代に地元の歴史家である柯木林氏によって発見された「慶徳会」の銘板も展示されています。

柯木林氏
「慶徳会」は1831年に設立されました。シンガポールができてから12年間しか経っていませんでした。
「慶徳会」は基本的に閉鎖的な組織なので今回の展示は非常に意味のあるものです。
第一の意義は、190年余りあまり神秘的のベールに覆われていた「慶徳会」について公開したことです。
第二の意義は、「慶徳会」の精神を知ることです。 助け合いの精神や寄付と努力の精神は今日でも学ぶ価値があります。
現在の「慶徳会」会長が登場!

69歳の陳坤詳氏は7代目のプラナカンであり「慶徳会」13代会長です。
陳氏に、協会の規則の核となる考えと、それが彼に与えた影響について伺いました。

陳坤詳氏
「慶徳会」の48の規則は基本的に人がどのように行動すべきかを規定しています。
家族にどのように接するべきか、国や村に接するべきかなどです。
重要なのは、メンバーが家族を尊重し、両親に孝行し、地域社会でお互いに親切にし、何よりも善行を行うことだと思います。
基本的にこれらの規則は「孝」という概念を中心としています。
リニューアルオープンしたプラナカン博物館

多民族、多文化のシンガポール社会にとって、異なる文化を認識し、受け入れ、包括することは非常に重要です。
4年間の改装を経てリニューアルオープンしたプラナカン博物館では、展示を通じてプラナカン文化が多文化交流の独特の魅力だけでなく、異なる文化的ルーツを維持しながら時代に歩調を合わせていることを認識したいです。

陳威仁氏
「土生(プラナカン)」の本来の意味は包括的です。 この用語は過去にマレーとインドネシアのコミュニティで使用され、他の場所から来て、その場所を自分の家と見なしているコミュニティを指したものです。
つまり「プラナカン」は「私たちは皆同胞である」という意味でもあります。
(展示品を前にして)これは私たちの博物館の宝物で、 非常に重要な「磁器のセット」のコレクションです。すべて中国の景徳鎮で作られ輸出されました。
いわゆるニョニャ磁器はとてもカラフルです。 お皿やボウルなどはヨーロッパの影響を受けています。 「フィンガーボウル」などは当時プラナカン料理の一部が手で食べられていたため使われました。マレーの食文化の影響を受けています。

陳威仁氏
文化は柔軟であり、文化は革新的である必要があるため、博物館で現代のアーティストやデザイナーなどと協力して、ネイティブの文化に触発された現代の芸術品や工芸品を作成しようとしています。
たとえば、私の後ろにあるサロン・カバヤはインド人デザイナーがデザインしました。これは実際には非常にデリケートで、非常にシンプルでクラシックな形で、非常に現代的です。
現代のアーティストやデザイナーがプラナカン文化を根幹に据えて革新し、プラナカン文化が存続することを願うばかりです。
「プラナカン」の中国語は?
プラナカン
土生华人、峇峇娘惹
tǔshēng huárén、Bā bā niáng rě
「土生华人」は移住した先で生まれた中国人の意味なので、世界各地(ペルーなどにも)に「土生华人」は存在します。
シンガポールで「土生华人」というと「プラナカン」や「ババ・ニョニャ」を指すようです。
★峇峇(ババ)は旦那様、娘惹(ニョニャ)は奥様の意味
峇峇娘惹
ウィキペディア https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%9F%E8%8F%AF%E4%BA%BA
印尼、马来西亚、新加坡和泰国华人的次族群,主要分布在荷属东印度的廖内群岛、文登、爪哇和巴达维亚,海峡殖民地的槟城、马六甲和新加坡,以及泰国的普吉府等地区
【ババ・ニョニャ】上の文章を訳すと…
インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイの中国人のサブグループ。
主にオランダ領東インドの廖内諸島、文登、ジャワ、バタビア、海峡植民地のペナン、マラッカ、シンガポール、タイのプーケットなどに分布している
「慶徳会」とは?
「慶徳会」…調べてもわかりませんでした。
動画にも「本地唯一的土生华人互助组织”庆德会”」としかなく訳すと「地元唯一のプラナカン互助組織『慶徳会』」くらいにしかなりません。
思うに、福建華人の組織と建物を「福建会館」と呼ぶように、土生華人の組織が「慶徳会」なのだろうと…神秘のベールに包まれた謎の団体なので仕方ない?
博物館の展示を見た人は是非教えてください!
施設のウェブサイト
孫中山南洋紀念館
https://www.sysnmh.org.sg/ch/about-us/overview
プラナカン博物館
https://www.nhb.gov.sg/peranakanmuseum/
出典・引用・参考
YouTube:8world/8视界
©音読さん
pixabay
维基百科、ウィキペディア
百度百科
Google翻訳
搜狗输入法
Weblio日中中日辞典 日中・中日
Dao Chinese Learning System
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